誰かのために動ける人間

誰かのために動ける人間
誰かのために動ける人間になりたいなら献血でもなんでも言ったらいいと思うと僕は思っている。
自己犠牲の一つや二つできないで誰かのために動ける人間になることなんて難しいとおもいますからね。
結局けんけつ嫌だというのはだれかのために血液をただでめぐんでやるもんかという意思のあらわれでもある。
正直誰かのために動いても他者が自分のために動いてくれることがあることなんてないほうが確立がたかいわけで、
そう考えてしまうと誰かのために動けるひとって日本の中でカウントしたら結構すくないんじゃないのと。
でもそういう人がいないと血液を求めている人に血は行かなくなってしまうので、いなければならないとおもうんだ。
僕がそういう人間になれているかと他者にきかれても威勢よくはいそうですとはいえないんだけどねと思う。
だって献血に人生で3回しか言っていない人間にそういう権利はないと思っているからといいたいよね。
ブロガーだってだれかのために情報発信をしているなんていうのは建前で全部自分のためにしているにすぎないんだよ。
すべてはページビューから稼げる広告料を稼ぐために記事を書いているだけというのがすべてのりゆうでしかない。
そう考えるとネットで稼ぐということはすべて自分のために動いているという結果にしかむすびつかないんだよね。
正直リアルで適合できていないからネットで稼ぐという選択を取らざるえないだけなんですけどね。
僕はそれでもリアルで稼ぐという選択肢に戻る気はないし自分の時間を必死こいて売る気にはならないんだよ。
時間を売る人なんて自分の変わりにいくらでもいるのだから自分がやって意味のあることなのかと思ってしまうから。
献血とかだと皆がやらないから俺がやらねばだれがやるんだという気持ちになるのだけど、仕事になるとそうはいかない。
俺以外の奴が仕事をやってくれるし俺が仕事をゆずることで幸せになれる人が生まれているんだからいいやと思うんだ。
結局やりたいことがあるうちはそのことしか目がいかなくなってしまっていてただの理由付けでしかないんだけど、
それでも理由をもっているだけいいんじゃないのかなとさえ思ってしまうほど最近は充実なんてしてないんだよ。
充実しているほど仕事したいという思いがでてくるのだろうけどただただ楽したいとおもってしまうからね。
それが誰かのために動ける人間になりたいという思いをそがいしているのかもしれないんだよね。
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